表現の自由、自由権、社会権、生存権、進歩主義、多文化主義、機会平等、男女平等、公平公正な分配、弱者とマイノリティへの慈悲と救済および支援。能力主義は公正な倫理観が前提となりそれに加えて生存権を重視しての結果の平等の必要性を社会は理解すべきではないか?

認識について -普遍性-

そもそも世界の構成は基本的で部分的な構造だけではミクロもマクロも相似的な様相を呈しており、それらが相関関係のなかで特定の意味を形成しているということが普遍的なありかたとして理解できるが、これはまるで異なる文化世界においても、同じように理解され得るものであることは明白だ。

基本的な構成要素がある目的に伴って関係性を得てそれが一定の機能を獲得することで意味ある役割を担うことになるが、そういったものがそれぞれの目的ごとの機能的役割によってより大きな目的のために関連付けられて一つの集合となっているのがある種のいきものといわれる形態だが、それぞれの機能的役割のある要素がその機能において自然に協調的に働くということによりそれが個別生命体の場合に健康な状態にあるということになる。

個別の生命体が集団となり組織化されていく過程も、個別生命体の生命が維持されている状態に類似しているが、異なるのは個別の生命体においては、それぞれがそれぞれの価値観や行動選択の自由があることであって、その権利は保障されなければならないものだが、結果として社会が一定の生命のような恒常的な維持機能がある場合は、その構成要素である生命体と社会の間に相似的な要素がないわけではないだろうから、非常に柔軟で概念的な意味理解の世界においては、各種の要素が個別の目的で行為していることの個別性ではない単なる目的行動性があるというかたちを捉えることにより、その構図の普遍的な様としての理解に矛盾があるとはいえないことが分かる。

しかし、同時にそれぞれの構造要素の関係性も、それがある目的で関係付けられて機能しているその役割の集合要素も、またその集合要素と別の集合要素が協調して果たす役割が複数存在して成り立つ社会構造も、それぞれがそれぞれの状況の変化に柔軟に対応して無理のない範囲で変容しているという普遍的事実もある。

故に個別の生命体であっても社会であっても、それが必要に応じて変化することは当然の如くあるわけで、環境変化にうまく対応できることが世界を維持することになるわけだから、その変化を知るために相互の構成要素間もしくはより外側からの情報を得る何らかの手法を通じて必要な情報を得て柔軟にものごとに適応していくのだけれど、その過程でそれぞれがその情報をすべてかのようにしてその情報に支配されるのを避けるために、例えば自我だとか細胞膜だとか憲法や国境などが存在しているので、個別構成要素の恒常的ありかたを維持しながら変化への適応を可能にするシステムが、変化と相関関係という普遍的世界においての普遍性として存在する。

その普遍的世界が平和かつ平穏に維持されるためにはそれぞれの個別要素の安定が必要であり、それぞれがそれぞれのための目的行動を他の利益と重なるようにしつつ無理のないあり方で行為することで、それぞれが疎外されることなく安定して存在することが可能になる。

もしそれぞれの何れかが疎外されるようなことがあれば、それぞれの役割が本当に本来の自然的なあり方なのかの見直しも必要なので、同時に無理のあるシステムになっていないかを確認しつつ、それぞれが自然にかつ十分に安定してそれぞれの個別構成要素として存在できることを目的にした情報の交流により、変化に適応して安定する状況への対応をそれぞれができるようにしていく必要がある。

 

 

 

(実はこれはいま書いているSFファンタジー小説のなかで主人公が思索しているときの思考内容なのだけれど、こちらに引用しておいた方がいいんじゃないかと思うようなものになったからアップしました。パーソンズ、人権思想、神経科学、仏教哲学、ルーマン、カント、マルクス、ハーバマスのイロハを部分抽出して公式化したものです。小説の方はここまで堅い内容ではないのだけれど…)