政治におけるリベラルという語の変容について
09年9月の旧民主党政権樹立の際に社民系が民主党と連立していたので、当時中道リベラルとされた社民国による民主党連立政権を支持した。同じ時期に米国ではチェンジということばを活用したオバマ政権が生まれていた。
(この両政党は名前が同じで立場も近かったが普天間問題により犬猿の仲になっていたのが残念だった。その普天間基地問題もあってすぐに社民党は日本の民主党連立政権から離脱しているが、政権交代の機会を得たことの意義は大きく、日本の民主党政権には何とか米国の民主党政権のように4年8年と続いて欲しいと思っていた。)
---
リベラルという語のもつ幅のひろさや多義性に関してだけれど、日本では昔から一般的にはリベラルを中道から中道左派の範囲で認識されてきたはずで、それに対して社民主義は中道左派から左派の範囲であるため両者は中道左派のところで一部重複する価値観である。
重複するところは人権、公正な民主主義、格差是正、情報公開、平和主義であり、違いはマルクス主義への親和性の有無だろう。
僕は中道左派なのでこのリベラルという語については何らかのところで関係しており、米国の政治意識の変容と関係しているだろうことから過去十年余りの経緯を、分かる範囲で簡単にまとめてみようと思った。
---
リベラリズムという用語に関しては多義語であるがために人や地域によって認識が異なる。
現代の欧州においてはリベラルは中道を意味し、経済における自由主義という認識がなされることも多いようで、政治哲学における意味もフランス革命の頃とは異なっていると思われる。
というのは欧州の中道左派の与党は社民主義や欧州社会主義であり、中道右派の保守自由主義やキリスト教民主主義である政党とは異なる。
欧州議会においては、前述の左右中道党に加えて、中道やや左よりに緑の党があり中道にリベラル党があって、両端に左翼政党と右派系政党がある。
ただし欧州の国ごとでは左派に緑の党やリベラル党がある国もあるし、右翼の自由党がある国もあるから単純ではない。
---
それに関しては日本も同様だったが、冷戦期の日本では政治的左右を表現する際にリベラル左派という表現が用いられており、その語が意味する立場を代表するメディアとして朝日・岩波が挙げられた。
要するにリベラル左派という用語は、当時の自民党長期政権下における、共産党に近い立場以外の野党側を意味していたはずだが、自民党の英語表記でリベラル・デモクラティック・パーティとしてリベラルという用語が使われているから誤解する人もいるだろうけれど、自民党自体は保守政党であり、しかし当時の自民党にも護憲リベラルの立場の政治家は多かったのでハト派だとか保守本流という言い方がされた。故に護憲リベラルという用語でリベラル左派という語と差別化していたということがあったのかもしれない。
2009年に旧民主党政権が樹立したころには、自民党が民主党との違いをはっきりさせることや世代交代もあって、当時の自民党のハト派が少数派となっていたこともあり、リベラルという用語は旧民主党を意味するようになって、自民党は保守色を強め、リベラル左派や護憲リベラルという言い方で差別化するようなことはあまりされなくなっていった。
当時の民主党政権は社民党と国民新党が連立していたため、リベラルという用語が中道から中道左派まで幅広く使われていたことを記憶している。
---
昨今まで米国においては一般に民主党をリベラル、共和党をコンサバ(保守)で表現する期間が長かった。故に米国でリベラルというと中道の自由主義という意味よりも中道左派である社会民主主義に近い社会自由主義を意味することが普通だった。
米国の保守派はもともとがフロンティアで独立宣言に意義がある国だけに他の地域とはやや意味合いが異なっているが、キリスト教保守や共和主義などが混在している。
リーマンショック以前の米国は民主・共和に関係なくネオリベの立場をとる傾向があり、両政党にそういった議員が混ざっていた。民主党の場合は保守的で(ネオリベ的に)均衡財政を主張する南部のブルー・ドッグと呼ばれる議員が存在し、共和党の場合は(ネオリベ的な)市場原理主義政策をとるネオコンがブッシュ時代を支配していた。
それもリーマンショックとオバマ政権の誕生により変わっていき、共和党もその後のトランプ大統領により大きく変化している。
随分前のことになるが2009年に日米が共に民主党政権になったときに、共和主義者のサンデルがNHKなどに登場して、リバタニアニズム(≒ネオリベ)批判とリベラリズム(この場合は社会自由主義)批判を混同させて米国の民主主義の理念を提示していたロールズを批判をすることにより人気を博していた。
もうかつてのことになっているかもしれないが、リベラリズムという用語が米国のロールズによることを前提にした場合は社民主義に近い社会自由主義を意味していた。しかし、リバタニアニズム(自由至上主義)的な政策をするネオリベラル(新自由主義)という認識でリベラルを捉える人も中には存在し、また、経済における自由市場や自由貿易で自由主義であるリベラルを捉える人もいる。
言葉の定義を統一する必要があったのだろう。
サンデルに関しては、それぞれの価値観が無知のベールで語られるような自由で完全な個人によるものではなく、共同体の価値観に影響されるというコミュニタリアンの立場からリベラリズムとリバタニアニズムを両断するのだが、これは米国のネオリベを批判する欧州の人々の立場に近いので、サンデルへの賛否とは関係なく、もしかしたら彼の影響は、米国におけるリベラリズムという用語を欧州のそれと統一したことにあるのかもしれない。
その後に資産格差を問題視するピケティによる「21世紀の資本」が米国等でベストセラーになっており、その現象が決して一時的なものではないことがその後の大統領候補選挙で新社会主義が躍進していた事実でも確認できている。
このような変遷を経て米国のイデオロギーに関する認識を新たにしなければいけない状況があるように思う。故にだろうか米国の大統領候補選挙に関する政治報道ではリベラル派の用語の代わりに民主党穏健派という言葉が新聞紙面で用いられていた。
米民主党代表選において候補のサンダーズが主張する新社会主義がコロナ以前は大きな影響があったが、その影響を受けつつより中道色のある民主党穏健派としてバイデンが米民主党の大統領候補になっている。
この場合の穏健派とは新社会主義に対して左派穏健派を意味する。
中国が台頭する時代に米国の民主党が、社会主義インターナショナルから13年5月に分離独立した進歩同盟に加入し、サンデルの活躍から米国の政治用語が欧州と同じになることで、英語を公用語とする国(英国や豪州、カナダ、NZ)の中道左派政党の政治言論を米国が導入しやすくなったのではないかと感じた。
これは希望的観測にすぎないかもしれないが、米国がドイツの哲学の領域を共有することがあれば、ようするにマルクスやフランクフルト学派がつくった中道左派の価値観の基本が影響したならば、それがどのような効果を世界にもたらすだろうと期待する部分もある。今後の展開を確認したい。
----------
今日は原爆の日だ。
ノーベル平和賞のオバマ前大統領が広島に訪れたのが懐かしいが、日米の両国が過去の悲劇を乗り越えて、平和と人権および平等に関して前進することを希求します。